みなさんは、東京を象徴する鉄道路線「山手線」をどう読んでいますか?「やまてせん」と「やまのてせん」、この2つの読み方が存在するのはなぜでしょうか。この記事では、その謎を解明します。
山手線は、東京の中心部を一周する重要な交通網で、多くの人々にとって日常生活に欠かせないものです。しかし、この路線名の正確な読み方については、「やまてせん」とするか、「やまのてせん」とするか、意見が分かれることがあります。
この疑問が浮上したのは、広島から来た新人アルバイト学生が山手線の正しい読み方について質問してきたことからでした。
これにより、「地方出身者にとっては、この問題が理解しにくい可能性がある」と気付かされました。実際、駅名のアナウンスや電車内で「やまてせん」と聞こえたり、「やまのてせん」と聞こえたりすることがあります。
外国人観光客にとっては、英語の「YAMANOTE LINE」という表記がガイドになり、混乱が少ないかもしれません。
実は、「やまてせん」と「やまのてせん」のどちらにも根拠があります。「やまてせん」という読み方も一時期存在したのですが、現在は「やまのてせん」という読み方が主流になっています。では、なぜこのような変化が起きたのでしょうか。
山手線名前の起源とその変遷
山手線が開業したのは大正から昭和初期にかけてのことで、開業当初から「山ノ手線」と表記されていました。これが「やまのてせん」という読み方の起源です。
しかし、昭和後半になると、外国人にも理解しやすい表記への変更が進み、「YAMATE」というローマ字表記が広まり、「やまてせん」という読み方も一般的になりました。
国鉄時代には、職員たちが路線名を「やまて」と略して使用していたことが、この表記の変更に影響を与えたとされています。しかし、この表記は後に見直され、1971年には「やまのてせん」として正式に戻され、「YAMANOTE LINE」というローマ字表記も確立しました。
このようにして、「やまのてせん」と「やまてせん」の間での変遷は、時代の流れと共に進んできました。現在では、どちらの読み方もある程度認知されていますが、元々の「やまのてせん」へと回帰した形です。
山手線の名前に関するこの物語は、歴史の中で紡がれてきたものです。
なぜ「山手線」の呼び名が「やまのてせん」として再浸透したのか?
東京のシンボルである山手線の呼称が「やまのてせん」として再び広まった背景には、いくつかの理由があります。
一つ目の理由は、1970年代にスタートした「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンにより、全国の駅名や路線名をもっとわかりやすくしようという動きが加速したことです。
二つ目の理由は、群馬県を走る吾妻線の開業が影響を与えました。
そして三つ目は、他の地名や路線と間違えないようにするためです。
1971年3月7日に吾妻線が開業した際、それと混同しないようにとの理由から鉄道路線の名前にふりがなをつけることが決まりました。これにより、山手線は「やまのてせん」と公式に読むことになりました。
また、山手線の名前の由来は、その路線が通る「山の手地区」にあります。この地域は、東京の東側にある下町の人々が西側の高台を「山の手」と呼んでいたことから名付けられました。江戸時代から、山間部ではない都市部を「山の手」と呼んでいたことがわかります。
ちょっとした余談ですが、「山の手言葉」として知られる独特の表現も、この高台に関連する文化の一部です。
「やまのてせん」という名前が選ばれた背景には、その歴史的な正確性と、根岸線にある同名の駅との混同を避けたいという意図がありました。
興味深い点として、ヨドバシカメラのCMソングの歌詞は以前「やまてせん」とされていましたが、現在は「やまのてせん」という表記に変更されています。
山手線の呼称、どっちが正しい?「やまてせん」か「やまのてせん」か?その由来と変遷
漢字で「山手線」と書かれ、読み方は「やまのてせん」が一般的です。
「やまのてせん」から「やまてせん」へと変わり、そして再び「やまのてせん」へと読み方が変遷していますが、現在のJR山手線は「やまのてせん」として知られています。他の同名の路線や通りと混同しないためにも、この呼称が選ばれたのです。
混乱した際は、ヨドバシカメラのCMソングがどのように変わったかを思い出してみるといいでしょう。